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私の父方の祖母は、離島でのんびり一人暮らしをしていました。

ところが、老いて足腰も弱り、心もとなかったため、数年前からは息子である父の家(つまりは、私の実家)で、暮らすようになりました。

私の母が介護をしていましたが、祖母が入退院を繰り返すうちに、自宅で介護をするのも困難になり、最後は自宅の近所にある老人ホームでお世話になることになりました。

その老人ホームで、食べ物を喉につまらせて、亡くなったそうです。

いつかは来るとは分かっていたものの、突然の死でした。


私は祖母の亡くなった日と、それから、葬儀の日に、実家に帰りました。

その時のことは、今でも鮮明に覚えているのですけど、大事な家族のことなので、詳しくは伏せさせてください。


告別式の翌日に、知能検査を控えて


実は、祖母の告別式の翌日に、発達障害の診断のための、知能検査を控えていました。

キャンセルしようかと思いました。
こんな気持ちを抱えたまま、検査なんて出来るんだろうか心配でした。

でも、予定通りに、検査を受けることにしました。
もしも予約を取り直したら、一か月以上先になってしまいます。

自分に発達障害があるのか、それともないのか、モヤモヤした気持ちを抱えて生きていくのは、もう限界でした。

一日も早く、結果を知りたかったのです。


私が発達障害の診断を受けようとしていることは、家族には内緒でした。

内緒にしたまま、喪服で身を包み、葬儀に参列しました。

ふだんは離れて暮らしている私に、父や母や妹が、ねぎらいの言葉をかけてくれるたび、翌日の検査のことを思って、胸が痛みました。


命を守るのは、大仕事


それにしても、実家に帰るたびに、父や母がだんだんと老いていることを実感します。

元気そうにしているので、何よりなのですが。

思えば、私が多動だったころ、父や母は、今の私よりも若かったはずです。きっと、発達障害というキーワードも何も知らないまま、手さぐり状態で私を育てていたに違いありません。


祖母が亡くなる2~3カ月前に、母といっしょに、老人ホームにいる祖母を見舞ったことがあります。

「私、小さいころは、いっぱい動き回っていたから、育てるの大変だったでしょう」

老人ホームの帰りに、母にそう話しかけたところ、母は目を真っ赤にして泣いていました。
(私は私で、近々発達障害の診断を受ける予定だったため、そんなことを胸に秘めながら、思い出したようにそう話したのすが)

私が保育士として働いていたときに、同じようなことを話したときも、そうでした。
実際に、動き回る子どもの世話をするのは大変です。ちょっと目を離したすきに、怪我をしたり、命に係わるような事故だって起こしかねないからです。


命を守るというのは、大仕事です。

おばあちゃんはそんな風に父を守り、父母もそんな風に私を守ってきたのでしょう。

そして、時間は動いています。

大きな川がとうとうと流れていくように、誰もが一生同じままではいられません。


私はその川の流れのなかで、命を落とすことなく、ここまで生きています。

おばあちゃんの死を目の前にして、私はそんな、生きていることの不思議さについて思っていました。

(次に続く)

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