学校の勉強もできて、会社に長く勤めていたとしても。

本当に何も問題がないって、言い切れるんでしょうか?

発達障害が見えない障害と言われているように、グレーゾーンの人の問題も、陰で絡まった糸のように、そう簡単には解らないものではないのでしょうか?


初回の問診で、医師から発達障害じゃないと見立てをたてられたとき。

私は思わず、
「発達障害じゃなかったら、これから私は、どうすればいいんですか?」
と、医師に質問をぶつけていました。

「いや、どうもしないよ」
と言って、それから医師は、ためしに知能検査をすることを、勧めてきたわけだけど……

頭のなかにグルグル言葉をめぐらせながら、私は病院を後にしました。


離人感の中で


3-4

その年の春も、桜は瞬く間に咲いたものの、私の目にはほとんど映りませんでした。

春という季節も手伝って、心ここにあらずという感じでした。

離人感、があったのかもしれません。


毎朝、同じ時間に、重い身体をふるい起こして、自転車に乗って勤務先であるコールセンターに通っていました。自転車で片道30分もかけて通っていたのは、運動するためと、それから、交通費の節約のためもあります。

大きな公園を通るたび、桜のシャワーを浴びていましたが、どこか冷ややかで、どこか焦るような思いで、ペダルを一目散に漕いでいきました。


そして、コールセンターに到着。

開始時間になると、コール音が鳴り響いて、私もヘッドセットを付けて、受信ボタンを押しました。話す声は始終、微笑みを絶やさないようにしているものの、ふとした拍子に、心の奥からこんな疑問がわき上がってきました。


(私は、発達障害と診断されたくないんだろうか?)

(それとも、診断されたいんだろうか?)


お客さまとの応対が、あまり上手く終わらなかったときに限って、そんな葛藤にとらわれていたので、お客さまに対して、ますます申し訳なさがつのっていきました。

いけない、いけない。

考え込むのは、仕事が終わったあとにして、今はお客さまに集中しなきゃ。


離人感の果てに


桜は目まぐるしく咲いては散っていって、私も朝になると、自転車のペダルを漕いでコールセンターへ向かって。

グルグル……グルグル……

春が、日々が、そして、心にのしかかった不安が、渦巻いていきました。

仕事をしているときは、いつまでも時間が過ぎていかないのに、どうして春はこんなにも早く、流れていこうとするのでしょう?

3-4-2


……そして、桜も散りきった、日曜日の宵。

未だに片づけることのできないコタツで、寝転がっていたところ、携帯電話が鳴りました。

着信画面には、母の名前があります。
ボーっとまどろみながら、ボタンを押しました。


「ああ、あすか?お母さんだけど」

「こんな時間にどうしたの?」

「おばあちゃんが、亡くなったのよ……」

「え?……」


一気に目が覚めて、コタツで温もっていた足が、青ざめました。
それなのに、身体中の血が、ドクンと熱く駆けめぐっていきます。


「……お母さん。私、いまから、そっちに行く!」

実家は電車で1~2時間くらいのところにあります。
今から出ても、十分間に合う時間です。

「今から来ても、おばあちゃんにはもう会えないよ」

お母さんは、憔悴しきっているようです。
どこか遠くから、声が聞こえてきます。

「でも、心配だし、行くから!!」


私は大声で叫んで、電話を切りました。
そして、あわてて身支度しました。

そして、心臓を高ぶらせながら、夜が深まるなかへ飛び出していきました。

(次に続く)

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