あすかです。
以前、このブログで、ちひろ美術館に招待されたときの模様をお伝えしました。
いわさきちひろさんの絵は、戦後最大のベストセラーである「窓ぎわのトットちゃん」の表紙や挿絵にも使われています。

今日は、その「窓ぎわのトットちゃん」の作者である、黒柳徹子さんのエッセイ「小さいときから考えてきたこと」についての感想です。

「窓ぎわのトットちゃん」では、黒柳徹子さんがとても多動だった小学生のころの思い出が明かされています。
「小さいときから考えてきたこと」では、そんな徹子さんが、大人になってから実は発達障害(LD、ADHD)だったと気づいたときのことが書かれています。

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私ってLDだったの?


本のなかにあるエッセイ「私ってLDだったの?」は、こんな文章ではじまっています。

「エジソン、アインシュタイン、そして黒柳徹子はLDだった」
そういうことが印刷されている雑誌の切抜きが十数年前、ニューヨークから送られてきた。それは日本の学者のかたが発表なさった論文のようなものが雑誌か何かにのり、それをニューヨークにいる母の友人の日本人のお医者様が送ってくださったものだった。
(中略)
私はすごくびっくりした。「一体私がなんでこういう大天才と一緒に書かれてあるんだろう」

このニューヨークから送られた切抜きを手にしたときの徹子さんは、LDというものが何か知りませんでした。
しかし、LDが「学習障害」を意味する言葉であることが、次第にわかりかけてきます。

そして、NHKが放送した、LDの子どもについての番組を見て、決定的に知ることになります。

徹子さん、その番組を見終わったとき、泣いていたそうです。
そのときの思いが書かれたものは、あえてここには引用しませんが、私もそれを読んで、自然と涙がこぼれて止まりませんでした。

自分が発達障害であると、気づいてしまった瞬間。

当事者なら身に覚えがあると思います。
さまざまな思いが、わっとあふれてきませんでしたか?

その瞬間のことを、こんなにも心がそのまま伝わってくるような文を、私は読んだことがありません。


発達障害をまるまる肯定する


でも、徹子さんの素晴らしいところは、自分のことも、LDをもつ子どもたちのことも、まるまる肯定しているんですよね。

エジソンやアインシュタインと徹子さんが、LDというつながりがあることを、よろこぶべきことに違いないと言っているところも、何だかかわいいです。

徹子さんの資質にもよると思います。
そして、その資質をまっすぐ伸ばすような教育に、出会えたことも大きいです。

「君は本当はいい子なんだよ」

小学校の校長先生である小林宗作先生に、徹子さんは一日に何度も言い続けてもらったそうです。
それがどれだけありがたかったか、著書のいたるところで語っています。

このエッセイ、どこを切り取ろうか迷ってしまうくらい、紹介したい文がたくさんあるのですが、最後にこの文を引用したいと思います。

LDは知的に問題はない。個性が強い子が多く、得意な分野の勉強なら出来る子もいる。好きなことは、とても上手だ。知的発達の遅れのあるなしという物指では測れない難しいところがある。まだ、はっきりはしないけれど、テレビによると、脳の機能と学習とに関係があるらしいということだった。まだ、この研究は、はじまったばかりで、わからないことも多い。そんな風だからイジメにもあったりする。だからLDということが早くわかれば、周りのみんなが理解し自信を持たせることにより、LDそのもののすべては改善されなくても、基本的な能力があるから、まわりの援助で成長していくことができる。


発達障害で悩む人にも、発達障害についてよく知らない人にも、できれば多くの人に触れてほしいと思う、名エッセイです。

(ちなみに、このエッセイでも、ちひろさんの絵が使われています^^)

小さいときから考えてきたこと (新潮文庫)



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